おもてなしの対価

この話をすると年代が分かってしまうのですが、某ハンバーガチェーンの1号店が銀座三越にオープンした時のことです。メニューの中に「スマイル¥0」という表示があり、「さすがアメリカは言うことが洒落てているな」と感激した記憶があります。

さて、月日は流れて数年前の話になります。アメリカから友人が遊びにきました。彼はユダヤ教を信仰するバリバリのユダヤ人。といってもケチではなく、食事に行くと皆のスキを見て全員分の支払いをしてしまったりするような太っ腹な人物です。

この彼をあちこち案内していたのですが、近所の普通の眼鏡屋に行き、品物をもらって店を出ようとしたところ、店員さんがわざわざ入口まで来て、深々とお辞儀をして見送ってくれました。

と、ここまでは日本では丁寧な店に行くと、よくある光景なのですが、ふと友人を見ると、本当に目を丸くして、「あれは何だ?何のために外まで出てきて、お辞儀なんかしたんだ?」と結構な剣幕で聞いてきました。

私は、「日本人はああいう風にお客を見送るという礼儀があるんだよ」と説明をしました。

彼はしばらく黙って何か考えて後に静かに、でも決然と、「OK, but I don’t want to pay for a bow(分かったけど、俺はお辞儀にお金を払いたくないな」と言ったのです。

今度はこちらの方がビックリしました。何気ない礼儀の作業が「コスト」と結びつくとは思いもよりませんでした。

彼の考え方は、店員さんの行動には必ずコストが発生し、それが必ず価格に反映しているはずという考え方です。ブランド高級店は商品にそのコストが乗っているから良いのだが、一般の店でそのようなサービスが提供されるのはおかしいという理屈です。確かにそうですが・・

そうしてみると、子供の頃に感動した、あの「スマイル¥0」というのは、タダで愛想よくしてくれるということか・・・と思ったりして。

以来、外国から知人が来るとこの話をするのですが、だいたい同じ意見が多いようです。もちろんそれが日本の優れているところで、自分たちが学ぶべき点だという意見もい。

考えてみると、欧米ではレストランに行くと必ずチップというものが存在します。会社(店)が提供するサービスと、個人が個人の判断で提供するサービスは、コスト負担先が異なるという意識が根底にあるのでしょう。

そして、それを負担する側の顧客も提供されたサービスの良し悪しを評価して、チップを多く払ったり、少なく払ったりという行為をする訳です。よっぽどひどい扱いをされない限り、チップを払わないという選択肢がないことも面白いところです。

我々日本社会では、社会を円滑に進める作業のコストは会社や社会全体で負担するという慣習があるように思います。ただし昨今はサービスの方もデフレが進み、過剰サービスが目に付きます。ビジネスの世界でも「タダでやってよ」のようなことは日常茶飯事ですよね。

日本の生産性が先進国で最低レベルという話も聞きますが、このあたりに原因があるのかもしれないなぁと思います。

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